2016年10月12日水曜日

【一旦終了】おやすみです。

このブログは一旦終了します。
ラジオのこととかも今後はこちらにて書いていこうかと思ってます。

http://ovod.hatenablog.jp

どうぞ宜しく御願します。

2016年2月21日日曜日

【コミュニティFM]】ラジオ再び。

すっかりご無沙汰してましたが、この1年コミュニティFMの仕事、少し頑張ってました。もう少し効率よくお金を稼ぐこと考えた方が良いかなと思ったりもしてます(汗。

ラジオの仕事の楽しいところは、ラジオだから出来ること、を探せることです。
当たり前のことかもしれませんが、これが案外当たり前でないんです。

例えば、ラジオは広告業です。
でも、広告業と言えば、新聞、雑誌、ネットなど、ライバルが居ますね。他の広告業と違うのは、電波を使えることくらいでしょうか。でも、ラジオの強みは機動性とリアルタイム性でしょうね。その2つを活かした広告業を目指します。
という話しではありません。なぜなら、結局手段が変わろうが、広告業であることは変わりません。

そういうことではなく、ラジオが加わることが価値を高めるものを目指してます。

例えば、ウェディング×ラジオという数式があった場合、どんなサービスが生まれそうでしょうか。起業×ラジオでは?建築×ラジオでは?番組ネタとして、それらを使うのではなく、ビジネスとしてそれらを活用したいのです。

そんなことをただいま目指しております。
どんなことを考えたのかは、いずれ紹介したいと思います。

2015年9月21日月曜日

【閑話】国民の財産と安全を守る方法について考えてみる。

先週の熊本出張では、多くの方にお会い出来て、いろいろな刺激を頂いた。そんな最後の夜に、安保成立というタイミング。連休前に滑り込ませたかったようで。

防災関係のイベントに出ていると、ボランティアの活躍を多いに感じる。自然災害などは、それまで積み上げてきた財産を一気に失う危険があるのだから溜まったもんじゃない。ただ、国民の財産や安全を守る上で、国民自身のボランティア意識が必要という状況にやや疑問を感じたりもする。地域防災に関わる方は全て有償ボランティアとなるべきではないかと思う。

自然災害以外にも、国民の財産や安全を全て奪い取ってしまう脅威が「他国からの脅威」だ。

ミサイルが頭上を超えて飛んで行った事実をどう考えればいいのだろう。これは「脅威」とは言えないだろうか。テポドン1号はマジか!と思ったものだ。

そうなってくると、自衛権の行使を「する」のか、「しない」のか、という話しになる。自衛権の行使は、国際憲章でも(要件は伴うが)「権利」とされている。さらに、自衛権の行使には、個別的自衛権/集団的自衛権があり、日本国憲法第9条では、行使の要件について、「他国に対する武力攻撃が発生した場合」というのが元々含まれている。だだし、それは直接的に「日本国民への影響があると認める場合に限る」とされてきた。よって誰が攻撃されようと、それが「日本国存続の危機に繋がること」が発動条件になる。

一方、自衛権の行使をしない、という方法もある。アメリカさんに守ってもらう、という方法だ。土地を提供し、年間約7000億円を提供していることからも、守ってよーという態度でも良い気がする。というより、今まではそういう感じだったのかな。
アメリカにとっては、日本は対アジアの堤防であり、最前線ということになる。アメリカが攻撃を受ける事態になれば、最前線の日本にある基地は攻撃されることは容易に想像できる。恐らくは、日本国内に、アメリカさんの影をちらつかせることで、アジアへの影響力を持とうと思っていたのだろうが、イケイケなアジア諸国は、そんなこともおかまい無しなのだから、キーっと地団駄を踏んでいるかもしれない。そのためには、日本とタッグを組めるような状況にしておくことで、一蓮托生でいろいろな「影響力」を発揮できるかもしれない。


ここまで来ると、そのいざって時のために集団的自衛権は行使出来た方が良いのではないかと考えてしまうのだが、それでもやはり、違うだろうと思う3つの理由は以下の通り。


まず1つ目は、そもそも日本は他国と武力で争う必要があるのか?ということ。
適応が必要なのは、韓国、ロシアの国境問題、中国、韓国、北朝鮮の戦中の問題、北朝鮮の拉致の問題は少し置いておこう。集団的自衛権における「他国に対する脅威」とは、他国=アメリカさんであることは明白で、アメリカが攻撃を受けた時点で発動条件が発生するわけだから、今回の法案で、先のアジア以外ともコトを構える可能性が増える。これは明らかにマイナスだろう。


2つ目は、日本の安全保障を考える場合、議論すべきは個別的自衛権についてではないかと思う。
その行使について、明確な基準なりを設けるためにしっかりした議論をし、その上で、軒を貸しているアメリカさんを始め、国際者社会に対して、明示し、協力を求めるべきではないかと。
仮に、アメリカ軍の基地が攻撃された場合、現行の法律でも個別的自衛権の行使は出来るのではないかと思う。というかして欲しい。攻撃されたのがアメリカの基地だとしても、そこには日本人の暮らしが関わっているのだから。

そして、3つ目は、集団的自衛権とは、「自国で自衛権行使の基準を持たず、大国アメリカと運命共同体となります」という宣言に他ならない。ありえない。なぜなぜなぜ。日本は、国際社会においてしっかりとした存在感を示し、いざって時は、助けてくれる仲良しの国を、アメリカさんだけではなく、一国でも多く作っておく必要があるように思う。


https://ja.wikipedia.org/wiki/北朝鮮によるミサイル発射実験_(1998年)



1998年、テポドン1号が打ち上げられ、第1弾が日本海へ第2弾が太平洋へ着弾した。このことに日本は、威嚇攻撃くらいすべきだ。もし、そのミサイルが国内におちたら。もし、タンカーや漁船などがあったのなら、そういう状況であったにも関わらず、出すのは声明。しかも、ある民主党議員は、北朝鮮に対して、「過敏に反応しちゃってゴメンね」と謝罪しているらしい。あり得ない。拉致問題のハンドリングをされてしまうのは当たり前だと思う。日本が交渉できる材料もあるはず。皆まで言わないけど。


今回の集団的自衛権の行使は、個別的自衛権の行使についての議論を避け、思考を止めた日本の政治家による、アメリカと運命共同体になるという宣言だ。戦後70年を経てアメリカの属国としての日本が完成したことになる。

日本への脅威がよくよく引き合いに出るが、国際憲章でも認められている日本の個別的自衛権の話しとは関係ない。それはそれでしっかりと議論しないといけない。

2015年7月20日月曜日

【閑話】競技場とか自衛隊とか宇宙開発とかのお話。

最近のFacebookを見ていて、どうにも解せないことがある。冬季限定で現れるみなとみらいのスケート場の氷くらい、上辺だけでスイスイすべっているように思えてしまう。

まずは、競技場。
IOCで日本団は、スタジアムのデザインは決まり、4500億円のお金もある(当時の都知事である猪瀬さん発言)、放射線も問題ナッシング。というプレゼンをしたはずだ。それで、開催地に選ばれたはずだ。日本が多いに湧いたのが少し前。そういうプレゼンして採択されたなら、それを全うすべきだと思う。お金かかりすぎだろうがなんだろうが、提案した全てを実行する責任があるのではないかと思う。そもそも世界でも人件費が高い地域の日本の建設費を「建設費」の一言で比較していることにも疑問を感じる。これは、お金があるとかないとかではなく、筋の問題として、国の責任でどうにかしてほしい。

コンペにかかった費用は果たしていくらだったのか。もし、コンペは採択されたザハの案を却下となったら、コンペは無効となる。仮に、エントリーしたすべての建築事務所が「制作費返して」と訴えたらどうなるのかな。コンペに負けたならまだしも、条件に見合わない案を採択して、結果的に無効になるコンペに参加していたとしたら、どうにも解せないって人もいるだろうに。そもそも、建築界における安藤忠雄氏の位置もナカナカ微妙かもしれない。建築界の恥ではなく、安藤忠雄氏個人の恥として切り離しているのかもしれない。国会議事堂のコンペもいろいろとあったようだけど、完全に無効となる「ゼロベース」はマジでありないと思う。歴史的にもないのではないかしら。あるのかな。

国も東京都に、建設費、500億円くらい持ってくれない?という相談をしたらしいが、舛添さんは聞いていないと応えたと報道されていた。前知事が約束したことは私とは関係ありません、というものなのかな。中長期的な計画実行が出来ないってことを意味している。それに、「相談」に対して「聞いていない」という応えは成立しない。メディアの報道の仕方が問題なのかわからないけど、意味がわからない。
仮にお金を出して、国立競技場が東京都が自由に使えるようになったどうなのかな。施設利用料は東京都はタダ。3〜5年でペイできないかしら。みたいなことを検討しても良いと思う。

こんな東京都に見切りを付けて、国がなんとかお金をかき集めて、意地を通して欲しいところだ。デザイン変える、と言われたIOCも、では、採択はなしで。くらい言ってくれてもよかったような気もする。

そこで、結構がお金かかるので、今後、国民が活用できるようなそんな競技場へと転換していきたい。施設のメンテナンス費用が必要なら、一部を貸事務所でも作ろうか、様々なイベントができる場所を作ろうか、飲食店のテナントもたくさん入れてみるか、とか、そういう地味な作業を積み重ねて、問題なく運営できる、と言ってもらいたい。


あと、アテネオリンピックの残骸の記事を見せて、日本に作る競技場がムダじゃないかという論調。いやいや、日本人がすることと、ギリシャ人がすることを同列にするにはムリがある。同じになるとは考えにくい。だって、あのギリシャですよ?と言いたい。ラフな服装の国会もまた国民性を現しているのだろうと思う。僕は日本人の勤勉さに誇りを持っているので、アテネのようになると言われても、ならない、と言いたい。日本人はちゃんと学んで反省するからね。もちろんそうでない人も多いけど。


続いては集団的自衛権。
何をしでかすかわからない国が隣にあり、ミサイル打ってみたり、誘拐しちゃったりします。これは脅威です。
例えばですが、ヤクザが鉄砲玉を送り込み、返り討ちにあって死ぬとなると、報復と称して抗争へと発展するのかな。相手のシマで横柄な態度を取り、怒らせて、手を出させる。それを理由に抗争になるとか、まぁ、とにかく最初にちょっかい出した方がペースを掴むことになります。政治家からしたら、某国へ交渉を行ったりすると、「こいつらが戦争をしてくることはない」と高をくくられている感があるんではないかと思う。
拉致被害者、北方領土、尖閣とか、自国の財産や自国の民を守るには、今の法律では都合が悪いと思っているのかな。一方でどうにかして!、と国民は訴える。けど、交渉材料も持てず、脅威を与えられない、結果的には相手のペースになる。こんなことではいつになっても領土や国民を守ることはできないのではないかというのが政権の本音だろうか。
一方、違憲であることは専門家を含めて認めるところであり、さらには、憲法9条は、共生の思想を根に持つ日本人らしい一文として誇るべき財産だと思う。


国民の命や財産を守りたい、という大義。ここは皆、賛同するでしょう。
でも、守るために戦争とかしやすくしておきます、というのは、本当にそれしか解決策がないのでしょうか?と言いたい。というか、反対するにしても、他の解決策を示して欲しい。
んー、例えばですが、拉致されているのであれば、特殊部隊を使う傭兵を使うありとあらゆる手立てとお金をかけて、誘拐し直すとかね。結局、経済制裁をすれば、生きているかもしれないよ、と言って交渉をしやすくするんじゃない?つまり、拉致被害者は、交渉の有効のカードとして使われてしまう。誘拐されていることがわかっているなら、なぜ、書記長の息子が来た時に拘束しなかったのか。戦争をすることの了承を取ろうとするのは間違いで、拉致被害者が最後の交渉のカードになっている状況そのものを変えない限りは、この脅し合いは終わらない。方法は問わない、とにかく、返してもらえれば良いのではないかと思うのです。
あとは、そうだな、尖閣に高級ホテルでも作りましょうよ。誰のものでもないような扱いをせず、明確に自分たちの土地だとしっかり主張すべきだと思う。


結局、日本人の美徳である、推して計るべしとか、そういう姿勢は、あくまでも日本人同士に通用するものであり、国際社会においては、明確に主張することが大切だと思う。

コンサルの仕事をして感じたのは、日本人は軋轢やコミュニケーション摩擦を、とにかく割ける傾向にあり、それがゆえに大切なこと、物事の本質を先延ばしにし、一部の人たちの利権で決めた内容で物事が進んで行く。進み出して、いざ、決を取ろうとするとみんなで騒ぎ出す。しかし、その時にはすでに遅い、みたいな具合。こんなことをこれからも続けて行くのか。そんなものにつき合っていたくない。

議会制民主主義は、推して計る日本人には不向きな制度としか言いようがない。安倍政権についてもなんだかんだ1/3は支持をしている。これだけ騒いでいるように見えても、見えていないことに想いを巡らせる必要がある。恐らく1/3は、日本が戦争へのハードルを下げられれば、いろいろと交渉できると思っているのかもしれない。

でもそれは間違いだ。やっぱりちゃんと考えないといけない。
まず、そもそも、交渉が下手なので、そのカードの切り方すら間違える可能性が大きい日本人に、戦争しちゃうかもよー、なんて交渉が出来るはずもない。さらには、既成事実を作ってしまうことで、国際社会というか、兄貴アメリカの言いなりになる可能性が高い。
よって、集団的自衛権の行使が出来ます、というのは、脅しにはならないし、言いように使われてしまう可能性が高いということ。
あと、自衛隊員で戦争になるの反対な人には辞めてもらいたい。上官に言われたから、という理由で戦地に行くようであれば、恐らくそこで起きることに耐えられないのではないかな。自ら進んで行きたい人もいると思う。マシンガンを持って内線地域に侵入した人が居たようにね。

個人的には、日本はアジア経済圏をまとめ、アメリカと共生するためのアイデアを出して実行するしか、周囲の国々と共存する方法はないと思う。そのことに注力すれば、拉致被害者の問題もアメリカの軍事基地としての役割も、すべて解決するのではないかな。時間はかかるが確実に解決できる。アジアとアメリカの調和を保のが日本の役割として割り切り、そうやってその役を買って出る事で、日本はアジアにも、アメリカにも必要とされる国のなるべきだと思う。日本は、アジアとヨーロッパの国々、皆が発展できるようなアイデアを出し、実行し、世界の貧困を救おうよ。プラントで食料が効率良くできる技術を開発し、エネルギー消費が一桁下がるような高効率なシステムを開発し、皆で地球に暮らし続ける方法を真剣に考える。そのためには、やるべきことはたくさんある。グーグル先生はそれに気付いているかもしれない。彼らのサービスは地球規模だもんね。



昨日の夜、宇宙ステーションで働く人たちの番組を見た。各国のクルーが、人類のために働いている。そうなって欲しいと切に願う。1つの地球の中で起きている様々なことは、宇宙からの映像を見ると、実にちっぽけなことのように感じてしまった。

だけど、跳ねっ返りな部分も欲しい。映画「セッション」を見て感じた。

道徳的観点とかそういうのは抜きに、純粋な戦略として考えるなら、一番最初に宇宙空間で子供を生む人が日本人なら、今後、宇宙開発をリードできるかもしれない。そして、これは、宇宙開発を行う上で避けて通れない問題でもあると思う。

宇宙で暮らしてみたい。

2015年4月25日土曜日

官邸ドローンと吉田松陰先生

官邸にドローンが投下されました。放射能を検出した土を乗せて。

この犯人が捕まり、様々な批判が集まってます。それらの批判をみながら、思い出したのは吉田松陰先生でした。大河ドラマ「花燃ゆ」では、まさに安政の大獄へと向かっていくところ。吉田松陰先生の命をかけた訴えに至る経緯がこれまでドラマの中で描かれていました。

テロに至る方の内面を想像しました。誤解を恐れずに言えば、私は、所謂テロ行為と松陰先生の苦悩の根源にあるのは、同じではないかと感じています。


世の中には、一国民では一生届かないであろう大きなチカラが動いています。一国のエネルギー政策などはまさにそうです。様々な業界、企業、権力者、そういう方々の中で保たれる均衡と団体、業界、もっと言えば国々という利害関係者との綱引きによって、日本という国の行く末が決っていくと感じています。

例えば、私が、自然エネルギーの有用性を感じたとします。それを訴えていたとします。その利用を心から信じて、その必要性を喉をからして訴えたとします。でも、何も変わらないでしょう。変えることが出来ない。そんな時に、大きなチカラの前で自分の無力さを痛感することになります。そして大きな絶望感を感じます。この反応の先の1つにあるのがテロ行為です。しかし、この先の選択肢はテロ以外にも存在します。


一方、松陰先生は、国の行く末を案じ、様々な訴えをしてきました。しかし、その内容は本質を捉えているが故に、反発を生み出します。その結果、投獄されたり、謹慎させられたりするのですが、そこでもやはり国の行く末を案じていきます。そして、その教えに感化された若いチカラが、国のため信じた道に邁進している姿を見るにつれ、謹慎によって身動きの取れない松陰先生は、自分自身に大きな憤りを感じていたのではないかと思います。その結果、命をかけた訴えに至ります。しかし、ここで先に上げた自然エネルギーの話しと異なり、彼の場合は、命をかけた訴え以外の選択肢を失ってしまっているのです。

私は、江戸時代の世において、「暗殺」という手段は、何かを変えるには有効な行為だったと思っています。これは道徳的観点での議論ではありません。単に、仕組みの問題なのですが、近代国家は、様々な権力者たちの均衡の上でのバランスを保つことが最優先です。よって、「担当者」がいなくなっても、その役割を別の担当者が補えば良いです。ですが、江戸時代では、担当者の能力や目指す方向によって、様々なことが独自の判断で行われていたのではないかと感じています。

具体的な例を1つ。
昔、桐生の山奥の根本山には賭場があったそうです。根本山詣出というガイドブックまであり、防火の神様として、江戸からたくさんの方がお参りにきました。なぜ、防火の神様かと言うと、実はここに住むと言われる天狗の伝説に由来します。
江戸の名物と言えば、火事ですが、ある年の大火で、一面が焼け野原になる中、どういうわけか、ある一軒のお屋敷がその被害を免れるのです。根元山に住む天狗が、その屋敷に火が及ばぬように霊力をまとうウチワで火の粉を振り払った、というのです。その屋敷の持ち主は、彦根藩。つまり、井伊家の屋敷でした。
その結果、商売人を中心にこぞって参拝するようになるのですが、行った先の娯楽がなんとカジノな訳です。しかも、賭場があったと言われる山頂には神社があるのですが、その神社一体の土地の持ち主は、彦根藩。井伊家なのです。そこで焼いた炭を彦根まで運んでいたそうです。実際にはお金だったという推察は容易いです。山一体は地元の方の持ち物でしたが、山頂だけは井伊家の持ち物なのです。
つまり、幕府の要人である井伊直弼は、天狗伝説を用いて防火の神様を作り、その神様を祀る山頂の土地を買って、賭場を開き、そこに人が集まるようガイドブックを作っていたわけです。彼は、お金を集める仕組みを独自で作っていた、と推察できます。

そんなことは今の国家で出来るでしょうか。当時は、一人の要人を暗殺することと権限を奪うこと、権力者が目指す未来を断ち切ること、が同じ意味を持っていたと思います。今は違います。「ポスト」という言い方ができるように、誰が来ても良いのです。決められた役割をそのポストで演じれば良いのですから。


さて、ここまでをまとめるとこうなります。
①今のご時世、国民1人の声で世の中の流れが変わることはないという現実。
②一方、松陰先生は、優秀であったものの要人の道を失い、命をかけた訴えしか手段が残されていなかった。

②については、実際にそうなります。命をかけた訴えを起こし、それに感化・共感する人々が実際に世の中を変えていきます。それは結果的にそうなったとは言えますが、松陰先生の命の使い方は、実に武士らしい生き様だったと思います。


話しを元に戻して、①の行く末について考えてみます。
このような大きなチカラを感じた時、人々はどのようなアクションを起こすのでしょうか。私は反応としては、3つあると思います。

1つ目「諦める」
変えたいと思っても、自分には出来ない、と思って諦める。なかったことにする。一番多いと思います。悪いことではありません。暮らしが良くなることを望みつつも、自分がすべきことではない、と考えるという反応です。
2つ目「やっぱり変えたいと頑張る」
ここの反応には2つの道があります。
1つが「政治に参加する」
大きな流れを作っているであろうポジションに自分自身が就くことを目指すことです。権利や権限を持とうと考えるのです。今回の市議選、立候補者が多いのはそういう理由だと思っています。つまり、そういう憤りを感じているからこそ、これだけの候補者が誕生するのです。そして、先に諦めた人も、候補者に1票を投じることで、暮らしが良くなることを望む、のです。
しかし、私は、たとえその場所についたとしても、大きな壁にぶつかると思っています。私が政治に興味がないのはそういう理由です。さらに大きなチカラを感じるのではないかなーと私は思ってます。
もう1つが「チカラを持つ」
政治にはお金が必要と言われます。どういう用途で使うのかわかりませんが、必要だそうです。では、お金はどこから来るのか?と考えたら、産業界であることは間違いありません。ここで言うチカラとはお金に他なりません。仮に国家が原発を推進していても、自然エネルギーが重要だと想い、それを推進させたいなら、自分でやれば良いのです。政治家にお金を回してやらせるのではなく、自身でやってしまえばいいのです。
ちなみに、私は総務省とも戦い続けてきた、そういう孫さんのスタンスが好きなのでSoftBankを使い続けてます(笑)。
3つ目「訴え続ける」
この行く末が、テロ行為だと思います。もちろん、言い続けるだけという反応もあるかと思います。私は、自分自身が信じた道をずっとずっと訴え続けた先に、「命をかけて訴えればそれに気付いてくれる人もいるのではないか?」と本当に思ってしまうのでは?というのが想像に容易いのです。江戸時代ではそれが出来ました。でも今は違うのです。だからテロ行為はしてはならないのです。
声を大にして言えば言う程、周囲から滑稽に見られ、嘲笑され、それでも国を思って声を出し続けたら、どんな境地に行くのだろうと感じ、その純粋さになんとも哀しい気持ちになるのです。ですが、テロ行為程度では、この世の中変わりません。もっと仕組みを学び、本当のチカラを付けるしか、変えることはできないのです。そのことをちゃんと理解した方が良いと思うのです。しかも、簡単にチカラを付けることなんて出来ません。だからこそ、同じ思いを持つ人たちと行動を共にするのです。そうして、本当に世の中に良いと思える方向に、産業のチカラで変えていくのが今の社会に必要なことだと思っています。なので、起業家支援が必要だと思っています。


そして、最後、今回の件で、国は「官邸周辺でドローン飛ばしちゃダメ」という法案を出すとか出さないかと言ってますが、私は、その報道をみて、やはり政治家に政治はできないな、と思いました。「臭いものは持ち込まないで」としか見えないのです。そうなると国民の感情には別の火が付きます。「福島の放射能の話しを国に持ち込むなと言ってるなう?」というスタンスです。

では、どうすれば良かったのかと考えました。
「ドローンを飛ばした行為については、空中権の侵害で訴え、保安上の理由から空中権の強化を今回の法案で通す」その上で、「放射能問題については、今も日々、改善に向けて対策と実践を行っています」という言い方にしたらどうかと思うのです。

というのも、空中に入ってきて良いとなると、ドローン飛ばして撮影できるし、それをネットにアップしたり、生配信なども出来てしまいます。また、毒蜘蛛を投下させることも出来ちゃいます。その場合は、空中権の侵害+プライバシーの侵害?とか、毒蜘蛛による傷害?みたいなカタチになるのでしょうか。詳しくはわかりませんが、今回、空中が無防備であることがよくわかってしまいました。

さらに、今回、ドローンで運んでいたのは、国内であちこちに移動させれている土です。「でも、持ち込まれて危険な土を作業員は作業して運んでます」これを言うと、「安全管理の元作業するのと、無防備なところに放つのでは意味が違う」と言う。しかし、「土を持ち込まれたところはどうなのでしょうか。そこから染出る雨水は川に流れ込まないのでしょうか」というと、最後は、「そうならないような対策を講じている」と言われる。ただし、その下流に住む人たちに防護策などないのです。今回の件は、ドローンと土と放射能を切り離して話すことで、不用意に国民感情を逆撫でしなくて済むのではないかと思うのです。

私は、今の社会では、テロ行為からは何も生み出せないと思っています。様々な権利・権限を有した方々のバランスの上で成り立つ今の世の中が、テロ行為で変わるとは思えないのです。松陰先生の時代とは、社会構造が違うのです。
もっと世の中の仕組みを学び、様々な経験を積み、自分の身の回りのことを少しでも変えられるような人が増えればいいなと思ってます。


さて、明日は桐生市の選挙です。私は、せめて「大きなチカラ」に負けないであろう人を選びたいと思います。




2015年3月17日火曜日

【閑話】MacBookとAppleWatchが示す未来。

新しいMacBookが発表されました。随分と思い切ったことをしたものだなーと思いました。ポートが1つで、そのことについては、皆さん、賛否わかれているようです。私はメチャクチャ欲しいです。買うタイミングというか、買えるタイミングいつかなーという感じですけど....。Airが欲しいと思っていたのですが、辞めます。これは、iPad以来の衝撃?ですね。

人は新しい方向を示されると、それを拒絶するか、受け入れるかの選択をすることになります。新しい価値を示されたときの反応としては普通なことです。

拒絶した人のその後は、拒絶し続けるか、途中で受け入れるかになります。では、受け入れた人はどうなるのでしょう。よくよく考えてみてください。実は、受け入れた人たちの中では「僕ならこうする」「私ならこうする」という、その文脈の中での意見を述べるようになるのです。

例えるなら、こんな感じです。
砂浜に立っていて、ボートがあるとします。最初の選択は、陸を行くか、海を行くか、です。そこであなたは海を選択しました。そうして海を移動するうち、オレならあっちの陸を目指したい。私なら、向こうの陸を目指したい、というように、海に出ることを決めたはずなのに、結局、陸を目指し、どこの陸を目指すのかで揉めるわけです。

この場合の正解は、「海の果てを見に行こう」とずっと西を目指すとか、そういうことです。で、結果、陸に付くことはあっても、海から見えている陸を目指すのは全くのナンセンスなわけですね。

アップルはこれまでにも、いろいろなモノを切り離してきました。これはパソコンという道具だけではありません。iTunesは、CDというメディアを切り離したし、iTunesストアによって、それが拡大し、ソフトのパッケージも無くなった。Airでは、ディスクドライブも外したし、付いていると便利そうなものもどんどん外してきた。そして今回のポートもそうだ。

移動が多くなり、あちこちで仕事していると今はいろいろなところにコンセントがあって便利だな、と思う。移動中にUSBの機器を使うことはまずない。iPhone用にモバイルバッテリーを買ったこともあり、PCから充電することもあまりない。移動中といえば、音楽でも聞いて書類を作ったり程度。異動先であれば、プレゼンのために映像出力が必要になるが、その移動中に充電が出来ていれば問題はない。プレゼンする時もコネクター繋ぐので、そこに充電するポートがあれば、それだけで良い。

http://jp.techcrunch.com/2015/03/11/20150310apples-latest-betrayal/

この記事ではなんだか怒っているらしい。正当だと言う。

http://jp.techcrunch.com/2015/03/10/20150309apple-decries-death-to-all-the-portsky8k6vw29y/

この記事は人気だった。

けどね、もっとよく考えて欲しいのです。
自分の行動を考えたら、実に理にかなっている選択をAppleはしていると思うのです。Macが切り離すというアクションを取る理由は、他とは違った考えをする会社なんです。あったら便利とか、普通あるでしょ、みたいなことに対して、ちゃんと考えている。アップルがそういう「普通」を維持し続ける方が、消費者にとっての裏切りなのだ。私なんて、コネクターが汚れるから、何かキャップみたいなのがあった方がいいかな、なんてことを考えていたくらいだから、むしろコネクターなくて良かったと思ってる。

Appleユーザは、Appleが示した方向に進んでいるのであって、その船の船頭はやはりAppleなんです。クルーであれば、船長の言うことを聞いた方が良い。しかもゴールドのPCなんて、溜まらないよね(笑。

AppleWatchの登場で感じたけど、もしかしたら、僕たちはもう電話すらいらないのかもしれない。待機であれば1日持つであろうMacBookがネットワークに繋がり、AppleWatchでハングアウトしたりして音声通信、必要に応じてFaceTimeを使うとかね。

理想の仕事の仕方が見えてきた。自分のオン/オフを示すのは、ネットワークに接続しているかいないか、で良いのではないか。いつでも繋がる電話の過剰さに気付いている人は少なくない。iPhoneを捨てて、AppleWatchとMacBookで生活してみるのも良いかもしれない。

2015年2月2日月曜日

【eDo】日本の工芸の課題を考えてみる

今、私は、eDoという活動をしています。日本の美意識を工芸を通して伝えたいという活動です。なので、工芸製品を作ったり、企画したり、イベントを考えたり、体験コースを考えたり、なんてことをしています。今は、orioriというブランドをはじめ、いくつかのモノづくりを中心に行っています。他のことはこれからですね。実施は準備が出来次第で良いんです。ムリはしません。考えておけば、いつでも出来ますから、しっかり考え抜くことが大切です。


さて、桐生の地場産業は繊維なんですが、私が、繊維製品のモノづくりを通して、コミュニティを作っていこうと考えてnunotechという活動を始めたのが2011年の11月でした。繊維も日本の工芸の1つと考えると、nunotechは、eDoの活動の次のレイヤーに来る活動と言っても良いかなと思ってます。


本題に戻りましょう。

日本の工芸、地場産業、伝統産業、の取材を続けて行くうちにあることに気付きました。

工芸を含む日本の伝統/地場の産業の多くは、手仕事の量産で成立していました。ですが、様々な選択肢が増えていくことことで、手仕事と量産が共存できなくなりました。手仕事で手間をかけると、どうしても高くなり、量産を望むなら工業化させて、なるべく手間をかけない方が良い、みたいな話しになっているわけです。

一方、手仕事を優先すると、価格は高くなりますので、商品ではなく、作品に近い製品というところに行き着きます。言い換えれば、どうしても作家性が必要になります。そうすると、作家性高めることと共に高価格帯にしていくか、量産させてなるべく安く作れるようにするか、という二つの選択肢が見えてきます。もちろん実際には、その間もあるわけですけどね。

今現在行われている取り組みの多くは、作家性を高めることに向かっているように思えますが、本当にそれが良いことなのでしょうか?他に選択肢はないのでしょうか?手仕事と量産は、もう共存することは難しいのでしょうか?本当は、量産できるようにすること、つまり、産業として再興するように、eDoでは、下支えする方法をもっと考えないといけないのではないかと感じています。